「ヨガ」の先生 祖父江 純子
「ヨガって、なに…?」
私が思っているヨガって、心を整えるためのあの手この手のメソッド集かなって思います。
決して、柔軟性を競うかのように難しいポーズを目指すものでもなく、現実から目線をはずしてスピリチュアルの方向に向かうものでもなくて。
そもそも、ヨガの起源は紀元前2000年〜3000年のインダス文明にあったとされています。
その後、バラモン教との融合を経て紀元前500年〜紀元後500年頃にヨガ最古の教本「ヨガスートラ」ができたと言われています。
でも、「ヨガスートラ」が説くヨガの中にはポーズの記述は一切なく、それから1000年後の16世紀頃になりやっとポーズが出てきています。
いつの世にあっても生きていくという事は、食べることから始まってありとあらゆる苦難に満ちています。そんな中で、静かな心を求めて瞑想を深めていき、やがてヨガ哲学へと成長していったのでしょう。
そして、誰が気づいたのか(誰とはなしにかも知れませんが)瞑想を深められるよう長く座っているための身体作り、意識の向け方が洗練されていき
食べる事や医療的面から
アーユルベータ(インドの伝統的医療)が、
柔軟性や体力といった面から
アーサナ(いわゆるヨガのポーズ)が、
心のあり方という面から
ヨガ哲学がと、
形作られていったのです。
今、ヨガというとポーズをとる運動面での印象が強いかと思いますが、それはほんの一部で
全てが、心地よく瞑想を深めるために、体から心からさらに体の内側の健康からとあらゆる方向からアプローチされています。
私がヨガを始めたのは、もともとヨガが好きだったわけでなく(むしろ、かったるいくらいに思っていた)、会社員として健康を扱う部署にいた時、集客のいっかんとして始めたヨガに、不覚にもみるみるハマってしまったのがキッカケです。その後、ヨガに主軸を置きたく会社を辞めてしまったのですが、ヨガの何が良かったのかというと…
ストレッチは健康に良くて気持ちいいけれど、
ヨガの後の気持ち良さは、その気持ち良さとはちょっと違う。
なんというか、身体の芯から、いえ、心の深いところからゆるまる感じといいますか…
言いかえれば、私はこの私でいいと思えるようなゆるまりかたです。
安心であり、自由であり、満たされている
至福とも言える感覚なのです。
その至福感に、自然に涙が流れ出てしまうような。
この涙って、なぜか止められないんですよね。
そして、心をぎゅーっと掴まれてしまったのは「幸せに向かって自己探究していくところ」だったと思います。体から心から健康からと、あらゆる方向からの自己探究。
いろいろなポーズは、いろいろな症状に効きます。
たとえば、腰痛・膝痛の緩和、冷え性・むくみの解消、緊張を和らげたり自律神経を整えたり、ダイエットできたり、はたまたメンタルの不安にも答えてくれるなど多岐にわたっています。
その、どの入り口から入っても大丈夫です。
きょうも、ヨガの動画を1本お届けします。
心オープンに入ってみてください。
ゆったりとした呼吸とともに
いま 私の中で起こっている感覚を
ただただ そのままに感じ 味わってみましょう
いい わるい というジャッジをすることなく
いま ここにある呼吸に 意識をむけて