Webデザイナー 高木 剛志

生態系ゆたかな森と、ととのった体内環境には、相似したすこやかさがある。

「森のしくみとおなかのしくみ」と題して、先月の特集でそんなお話をしてみました。生態系というおなかの外の世界と、自律神経というおなかの中の世界を、「森」というキーワードでつないでみたのです。

しかし、突如浮かんできた森というキーワードには、もっと何か意味があると思えてしかたがありません。続けて、そのなぞ解きをしてみようと思います。

私には、なぞ解きを始めてから一つのひらめきが生まれました。

以前からこのオンラインサロンの「特集」というカテゴリーの名前を、「Club おなかにてあて」らしい、もっとしっくりとしたものにしたかったのですが、ふと、デジタルの中に「おなかの森」と言う仮想の森をつくってみようというアイデアが浮かんできました。

その中で色んなセラピストや、色んなアーチストが、暮らしや健康の話をああでもないこうでもないと話し合っている。

そんなデジタルの中につくった森は、実在する森につながり、一人ひとりのおなかの中にある自律神経がつくる森にもつながっていく。

そんな自由に行き来できる情報空間を想像し、特集の名前を「おなかの森にすむ人たち」と名づけてみました。

これからおなかの森で色んな人とセッションして、そのお話を皆さんに届けようと思います。

名前を変えた第1回目に、このオンラインサロン「Club おなかにてあて」と言うデジタル空間をデザインしてくれている、Webデザイナーの高木くんと、

「森」という命をつなぐネットワークを、なぜ、デジタルで表現するのか。

そんなテーマでセッションしてみたいと思います。

さて、アーチストとセラピストのセッションから、森はどこまで見えてくるでしょうか。ちょっと実験的ですが、一緒になぞ解きを楽しんでもらえたら嬉しいです。

(文・佐藤 勝美)

デジタルについての話

3年ほど前でしょうか、このオンラインサロン「Club おなかにてあて」を構想し始めたのは。最初は、私が普段行なっている治療やトレーニングサポートを補うツールとして考え始めました。コロナ禍で制限された、対面でのコミュニケーションをデジタルで補おうと計画したのです。

そして今から約1年前、いよいよオンラインサロンを実際につくり始めようとした頃に、偶然にも30年ぶりにネット上で再会した旧友、Webデザイナーの高木くんが手伝ってくれることになりました。

それから「デジタル」と、それとはほど遠いと思われる「てあて」との共同作業は、思いのほか未来に向けてのおもしろいつながりを見せ始めたのです。

デジタルだからこそ寄り添える

それから私たちのデジタルでのチャレンジは、ただ対面でのサポートを補うだけのものではなくなりました。もちろん対面でのコミュニケーションが大切なのは間違いないのですが、デジタルにはデジタルにしかできない大切な役割が見えてきたのです。

おもしろいのは、私が生物多様性の復元と持続的な地域づくりを進める、赤谷プロジェクトにボランティアとして参加し始めたり、積極的に自然のフィールドに出かけだした時に、それが見えてきたことです。

それはアナログかデジタルかという手法の問題ではなく、私たちが大切にする両者に共通する何かがあるということなのです。それはネットワークであり、コミュニケーションであり、つながりや関係性が起こす命をつなぐ力なのです。

赤谷プロジェクトについて

Webは生き物

高木くんは、デジタルが持つ一般的なイメージ、「人間味をなくしていく方向」には興味がなく、デジタルだからこそ生き物のように表現することができると言います。

デジタル技術やインターネットは何がおもしろいのかと言うと、その時の状況によって色々変えていけることだそうです。つくった後でも、更新していけるのです。

そして、世界中の人からアクセスできて、色んな人とネットワーク、コミュニケーションができる。

生きてないんだけど生き物みたい。それは森に近いものかもしれません。だから、高木くんは「Webは生き物」と表現するのです。

森の仕組みとインターネットの近似性

生物多様性が保たれた森は、人と同じように社会をつくって助け合いをしていることがわかっています。そしてその助け合いのネットワークは、森の中で最も弱いものを救う仕組みなっているのです。私が、そんな話を高木くんに投げかけてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「森の仕組みとインターネットは相性がよく、考えているところが近いのかなという感覚がある。」

その答えを聞いて、私と高木くんも相性がいいのだろうと思いました。高木くんに何か投げかけると、いつも何かしっくりした言葉が返ってくるからです。相性というのは、アナログ同士だから、デジタル同士だからとか、同じ職種だから相性がいいというのではなく、きっと、お互いが大切にしていることが、言葉で表現しているところより、一層深いところで共有できるからなのでしょう。

高木くんが言うには、元々インターネットにも自然の中にある世界のように、助け合うという精神があるそうです。

そんな話をしているうちに私は、決してデジタルはアナログをむしばんでしまうものではなく、多様性豊かな森と同じようなネットワークをつくるためにあるものだと考え始めました。

そして、デジタルやインターネットの世界は、ゼロからものをつくれる良さを持っているため、元々うまく回っているしくみ、森の仕組みだったり、自律神経の仕組みだったりをまねし取り入れて、それと同じような仕組みをゼロからつくれる可能性がある。

ネットワークをつくることを大切に考えて、色んなものをつないでいき、情報をやり取りしていくには、デジタルだからこそできる役割が大きいのです。

孤立することによって弱くなる

ふたりでセッションしていて、私たちは結局、つながりを活かして一人ひとりに寄り添う仕組みをつくりたいのだと再確認しました。その大きな理由は、人も樹木も孤立することによって弱くなってしまうからです。

原始的な森には豊かなつながりがあります。森林社会にとっては、どの樹木も例外なくかけがえのない存在で、全てが支え合っているのです。だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養をわけ、その回復をサポートしているのです。

ただその強い友情は、天然の森の中でしか見ることができない。そして、一度失われた自然を元に戻すには、またとてつもない月日がかかります。人のからだも同じように、長い月日の習慣でできてしまった偏りは、いつかつらい症状を起こしてしまいますが、その偏りを修正するにはまた長い月日がかかってしまいます。

しかし、原始的な森は減り、経済にふり回された現代社会でのつながりは危うく、途切れやすいものになりがちです。ここから長い年月をかけてそれらを復元していくことは、とてつもない未来になってしまいます。だからこそ、ゼロから作ることができるデジタルを活かして、その効率と正確な情報のやり取りを補っていく必要があるように思います。

社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる。森とデジタル、両極端に見えるそのふたつに同じ可能性を感じたのです。

オープンソースと予防医学

高木くんから、オープンソース(Open Source)というプロジェクトの進め方を教えてもらいました。

オープンソースとは、誰か一人が、もしくは一つのチームでつくっていくのではなくて、つくっているものを世界中に公開して、誰か手が空いてている人が、興味のある人が関わって、数珠つなぎにつくっていく、場合によっては、ものすごくたくさんの人が関わって、多くの人が自分ができることをちょっとずつ活かしながら作っていく開発方法だそうです。

そのように、自由に受け渡してつくり上げていくには、ネットワークがしっかりとできていることが大切になります。

それは予防医学の考え方に似ているのかもしれません。

予防医学は多くの視点で多角的にとらえていった方が、一人ひとり多様性のあるスタイルに対応しやすく、誰かが健康になれば、その誰かのまわりにまた、健康のつながりができ、広がっていく。

先ずは、そのつながりに届く入り口を、このオンラインサロンに置いておきたいのです。

オープンソース(Open Source)について

コミュニケーションをデザインする

高木くんとの話は、システムの話をしているようで、人と人のつながりを話しているのでした。

インターネットを使ってやれないこともあるけど、デジタルを介してやれることも色々ある。

遠く離れたところに情報を届け、そしてそこでコミュニケーションを起こすことで何かが解決する。結局、アナログであれデジタルであれ、どういったコミュニケーションをつくるかが重要なのです。

私たちがやろうとしているのはコミュニケーションデザインだったのです。

結局高木くんがしているデザインも、私がしている「てあて」もコミュニュケーションだったのです。

「感覚」の重要性

高木くんがオンラインサロンのプロジェクトに関わっておもしろい思っていることがあるそうです。

健康の話を聞いていて、病は気からのような、心の持ちようや理屈にはまらないところ、つまり「感覚」のウェイトは高いんだなと感じたそうです。

それが、普段高木くんが行っているデザインの仕事に影響し始めているそうです。

人は、本当は感覚に素直にしたがって生きられれば一番いいのかもしれませんが、複雑になりすぎた現在社会の中では、感覚は感情として暴走してしまうこともあります。

てあてとは結局、情報の書きかえなのかもしれません。からだの中で起こっている、生理的反応をどう捉えるか。そして、情報空間は自律神経の一部なのです。

リアルな世界でやり取りされている言葉は、感情に偏りすぎて、からだが置いてきぼりになってしまうこともあります。

デジタルが、現象の言語圧縮から全感覚的な体験を呼び起こそうとする技法だとすれば、アナログより感覚を活かせるのかもしれません。

デジタルだからこその温かさ

とかくデジタルは、何か冷たいもののように思われがちです。

しかし、私はむしろデジタルの方が温かく働く時があるように思います。

感情が入り込まない分、色んなことを整理して正確に伝えることができれば、その人の暮らしや健康をととのえることができるのです。

反面、アナログの世界で癒しを求められる場面が多いですが、リアルの世界でただ癒されようとしても限界があります。

それはただ、一時的な感情の操作に終わってしまうことが多いからです。感情の操作に終始して、暮らしや健康は振り回されてしまうことがあるのです。

オンラインでやることの可能性

自律神経は不安定にゆれながらも続いていくものなのです。

デジタルで何かをつくっていくことも、そんなふうに続けていけばいいのかもしれません。

そうして、人もデジタルも進化していくのです。

そうして、多くの人が一人ひとり進化して支え合っていけばいいのかもしれません。

落ちた種から生まれるもの

シンギュラリティはたくさんの敗者を生み、強者じゃだけが生き残る社会をつくるのではないと思います。

今だからこそ、アナログもデジタルも分け隔てることなく、すこやかさと幸せについてちゃんと話す時が来たのかもしれません。

養分の少ない土壌に立っている木。一時的に病気になってしまう木。遺伝的に欠陥のある木。そういったメンバーが、まわりの木の援助によって生き続けることができる。

リアルとデジタルをつなげて生まれる森を、ゆっくりと広げていきます。

一人ひとりが、それぞれの在り方でいられるように。

また何かつながりから生まれるのが楽しみです。

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Webデザイナー

たかき つよし

高木 剛志

この記事を書いた人

徒手療法家

さとう かつみ

佐藤 勝美